小説 思春期

池袋ウエストゲートパーク の小説とドラマのネタバレと感想

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「池袋ウエストゲートパーク」の小説のネタバレ

読んだ当時はすごくリアルな感じがした。若かったしね。

池袋の商店街で酔っ払いに高値でフルーツを売りつける果物屋。

そこの息子で、時々店で働きながらフラフラしてる主人公マコト。

池袋で勢力を誇る青いカラーギャング、Gボーイズ。

そんなGボーイズを支配する、クールで男前でケンカも最強な王様タカシ。

他のキャラもそうだけど、どっか浮世離れし過ぎてて「そんなヤツいるか」って思う反面、大人になりきれてなくて、情に脆い感じとかが「でもどっかにいそう」っていうか。まるでアニメっぽい。

マコトたちが巻き込まれる事件が、当時の日本の社会情勢とかを反映してるのもあって、それがさらに生々しいとかリアルっていう感じを抱かせてたのかも。

そして、マコトが事件の回想を読者に語って聞かせるっていう文章スタイル。

こういう演出を重ねて重ねて、嘘なのに「真実じゃないか」って思えるだけのお話に仕上がってるのが、ホント素直に心理術でも習ってたんか?と思う。

だから小説もドラマもそうなんだけど、見ている人がどこか共感できる。

そこがこの作品の凄いところ。

しかしうまく言えないけど、途中でついていけない感が出てきた。

書かれた頃から時代がどんどん変わっていったけど、作品の中のマコトたちはサザエさん方式で年齢そのままというか、歳取った表現が(ゼロじゃないけど)もやもやっと。

当時からの読者もどんどん歳をとってくし、もちろん作者の石田衣良さんも歳をとって、物事への感じ方とか感度とかがやっぱり変わってしまってるんだと思う。時代と共にもっと変化してもいいとは思うけど、それじゃあ後々まで残る作品ってのにはなりにくいのか。

最新の時事ネタを扱った事件にマコトが介入して解決しても、時代劇的なお約束というか、形式的な何かとしてしか読めなくなってしまった。

呆れてるんじゃない。読んでるこっちも水戸黄門的な見方でいいのだ。

というか、これはそういう話を狙った大人の策略なのだと気が付いたのはいつだっけ。

もうひとつ時代の変化もあると思う。

たとえばマコトは、その当時はそんな言葉がなかったから「フリーター」って書かれてるけど、今で言えばただの半ニート。

当時はマコトみたいな人間はそう多くないか、知名度が低かったのもあって、「アウトサイダーだけどまぁいるかもねー。でも私は関わりたくないわー。」で済んでたかもしれない。

でも今は、ニートとかフリーターとかが珍しくない社会になった。

マコトの気質みたいなものも、ただのマイルドヤンキー

マイノリティーだったものが、気づけば読者を含んだマジョリティーに変化。時代だね。

それでも物語の中のマコトたちは歳を取らない。

本当は多分、リアルを徹底的に追求するなら、変化し続けなきゃいけないのに。

それがそのまま置き去りにされてるから、物語が遠くなってしまったのかも。

「自分も歳食ったなあ」とは思うけど、まあその辺はそれこそサザエさんのように変わらないものとして認識。

いっそ、リニューアルしてオッサンになったマコトが主役の人情話でもいいと思うのに。

そうでなければ二代目マコトを生み出して、新しい物語にしてもアリ。

その結果とか答えみたいなものが、例えば同じ池袋を舞台にした「デュラララ!」とかなのかな?

あれはちょっと怪奇とか伝奇の成分かなり強めだけど(笑)。

物語の本質自体は好きだからこそ、もうちょっとどうにかならんのか?と思う複雑な気持ち・・・。

若い人が読んでみてどう思うのかを、ちょっと聞いてみたい気もする。

もう一周自分が年取った時には、また違う感想があるんだと思う。

「池袋ウエストゲートパーク」のドラマのネタバレ

宮藤官九郎×堤幸彦で原作完全再現なんてことはまぁありえない話(笑)。

原作から入った人は「ちょっと待て」ってなると思う、正直。

私はクドカンは話の本筋さえ合ってたら後は、基本的に好きなように改変している人だと認識している。

大人になったら、全部自分で後始末できるんだったら、何してもええんやで。

「士の回」でタカシがマコトに言った

「結局、まこっちゃんは面倒なのが好きなんだよ」

という一言が全てなんじゃないかって気がする。

こういう人いるよね。面倒くさいことにわざわざ首を突っ込む人。

まあ名探偵コナンとか全部そうでしょう。そういう作品になるように狙ってるんでしょう。そう思ってみてください。

だからこそ話は無限大!!!

2020年、この話がアニメ化されるがアニメならピッタリだ!と思った。

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ドラマの中の登場人物たちは原作の小説のようなクールさよりも、どっちかというとガキっぽくておバカな感じにアレンジされている。

マコトはヤンキー丸出しだし、タカシはチャラい。受け入れ的にはかなり軽くて、広い範囲を拾えるはず。特に流行ってたB系の恰好はかなり流行った。

このころB系にはまった馬鹿な男にB系を問うたら

「B系ってゆうのは~~」

と説明しだしたので

「BAKAのB?」とバッサリ切ったのはいい思い出w

確かにそこを観て「何か違う」と拒絶する人は多いだろうけど、話は合ってるからこれでいい。

文字で読むのと映像を観るのでは、また違うしみんなのイメージ通りに映像ができればわざわざ映像にする必要すらない。

台詞ひとつ取ってみたとしても、小説のように喋る人物では人間味を感じられないし、実際の喋り言葉をそのまま文字に起こしてしまったら、無駄な言葉が多すぎてページがいくらあっても足りない。

心の声、多すぎる。

じゃあ、本質って何でしょーか?

この作品のジャンルは「人情劇」。

人間と人間とが関わりあって、その中で起こる問題を「情」という倫理観で捉え、解決していく。

きっぱり言い切れば「人間関係」の物語。

マコトは「めんどくせぇ!」と言いながらも、その「面倒くさいこと」に次々と関わっていく。

たとえその先で自分が痛い目をみるだろうと判っていても。

実際に劇中で、何度も心身ともにボロボロになっている。

それでもまだ「面倒くさいこと」に突っ込んでいくのだ。

何でだろう?

友達や家族、恋人、時には敵対する相手にさえ「情け」をかけ、「for」の精神で手を差し伸べる。

理不尽に対しては声を荒げて怒るし、温かい思いには時に男泣きをする。

仲間たちとの幸せな時間には、大声をあげて笑う。

結局マコトは情が深いのだ。まるで「男はつらいよ」みたいなのだ。

人間、最後に残るのは「情」なのだ。多分。いや自分がそう思いたいのかも。

誰がの言葉かは忘れたけれど、人間関係は極論、必要以上のお節介か、完全な無関心しかないらしい。まあ簡単なのは無関心だわな。

マコトは無関心になれない。絶対に。

タカシの一言はその事実を的確に射抜いていると思う。

「結局、まこっちゃんは“人間”が好きなんだよ」

この本質が描かれているのだから、「ドラマは違う」は無粋だと思うんだ。

このドラマはヒューマンなのだ!

個人的に良かったのは、かーちゃん(森下愛子、旦那 吉田拓郎)だなww

安定感半端ない。

あとクレイジーケンバンドだわな!

★★★☆☆ 星3つ!

ドラマ化当時ダヴィンチだったかCREAだったかで(雑誌)で石田衣良のインタビューが載ってた。

「石平」を割って石田衣良にした。

と載っていた。

かなり衝撃的だった。天才作家の考えることはすげー!と思った。

家での取材だって家もスゲー!と思った。

長瀬はクロコーチの黒河内役もピッタリだ。

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