何も考えず見れる 映画 男と女

捨てがたき人々 の映画のネタバレと感想

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ジョージ秋山の漫画を自分の子である秋山命が脚本を書いた。

ジョージ秋山って松山ケンイチの出てたドラマ「銭ゲバ」の人だよね。

それも見たし、読んだけど(笑)

そういうことを差し置いて”大森南朋”が出てたから見た。

流されるように生きてきた男の半生の映画である。

捨てがたき人々の三行あらすじとネタバレ

注意※三行で結末まで書いてます。

一人で生きてきた男は人生に疲れて実家のある街に帰ります。実家は幼いころに一家離散したそのままでした。誰も頼ることなく日々の自分の欲求だけ満たしていた時に弁当屋の女を犯してそのままお互いに悪意を持ちながら子供まで持ってしまう。女は宗教にのめり込んでおり宗教の幹部と不倫、男も女の叔母と不倫。ぐちゃぐちゃの家族の中で息子は不満を爆発させる。男は何も考えてなかった時間を取り戻せないのであった。

ぐちゃぐちゃな家族と取り巻く大人たち。

最近思うんだけど、自分がのほほんと生きている間にも自分が気にもしなかったような人たちにもちゃんと居場所があって(いいか悪いかは別として)とりあえず家族が居て(うまくいってるかどうかも別として)、それでもみんな同じように時間が進んでるんだなあ。ってしみじみする時がある。わかってるんだけど、わかったふりしてただけどこういう世界を映画で垣間見て気が付くときがある。

なんかこの映画を見て、胸が熱くなった。

捨てがたき人々 の映画のネタバレと感想

勇介(大森南朋)はトラックの運転手を辞めて、嫌な思い出しかない生まれ故郷の長崎に帰ってきました。

することも仕事も何もない勇介は、不動産屋に行き1万円のボロアパートを借ります。

勇介は幼いころに両親に捨てられており、実家を見に行くと当時のままでした。家の中には勇介の幼いころの思い出が沢山ありますが、両親に捨てられた思い出の方が大きいのでそのまま後にします。

毎日、食べては寝てと自分の欲求だけをただダラダラと消化していく勇介。

いつも行く弁当屋に京子という顔に大きなあざのある女が居ました。

勇介が布団を買ってぶらぶらと歩いていると、自転車に乗った京子がぶつかってきます。謝る京子に勇介は大丈夫だと言い、帰ります。

次の日、弁当屋に京子が居ました。勇介は弁当を買って外で食べていると京子がやってきて、勇介にあれこれと質問します。

なぜこの街にやってきたのか。この場所が好きか。と。

勇介は生きていくことに飽きたから最後はここに戻ろうと思った。と言います。

実は京子は新興宗教の熱心な信者でした。顔にあざがある事からコンプレックスを持っており、宗教に助けられたと言います。

やる気のない勇介に京子はそれではダメだ!とダメ出しします。

しかし京子の話をぶった切って勇介は突然その場で京子を犯そうとします。

生きることにやる気のない勇介は性欲だけはありましたから、お構いなしです。

河原でやっていたところに(未遂)京子の叔母のあかねが偶然通りかかり事なきを得ます。

京子はそのままあかねと帰りました。

夜になり勇介は今度はあかねの店に行きます。(こういう人って流れるように生きるから流れ人って言うんだろうな)

しかしあかねの店には、勇介の過去を知るおじさんが居ました。

おじさんいわく、勇介の母に性の処理を頼んでいたと言い、勇介の父が死んだあと母も家出してしまったことを店のみんなに聞こえるようにドヤり顔で言いだします。

居場所のなくなった勇介は店を出ました。

次の日、勇介は弁当屋に行って京子に土下座して謝ります。

勇介から「神に誓って」という言葉が出たので京子は勇介を許してしまいます。

そして勇介が何か奢ると言い、レストランに行き飲ませて自分の家に連れて帰って犯します。

勇介の家で目を覚ました京子に、祐介が「自分が捨てがたいだろう」といい更に犯します。京子も勇介を受け入れました。

朝、京子が家に帰ると母は彼氏とセックスしていました。母に軽く罵倒を浴びせた後、勇介にアパートを紹介した不動産屋に会います。京子と不動産屋は愛人関係でありお手当てを貰いに行っていたのでした!(この母にしてこの子あり)

その頃勇介はとうとうお金が底をつきかけたのでまた犯罪を犯して刑務所に入ろうと思いました。

そこに京子が来て、宗教の幹部が社長なので仕事をしてみないかと勇介に持ち掛けます。勇介は軽く断るものの、社長が勇介に是非どうぞというので仕事に行くことにしました。

そして魚工場で包丁を持つ勇介。

京子は仕事に行きだした勇介に何かにお金を貸しました。

京子は居場所が無くなっていました。母は愛人と家でセックスばかりして、あかねも店で客とセックスばかりしています。

ふらりと勇介の家に足が向いてしまうのでした。(別に勇介に会いたいからでも好きでもなんでもない)

勘違いしている勇介は、俺の事が(あそこ)欲しいんだろうと言ってまた京子を犯します。

京子は別に勇介の事が好きな訳ではないので、犯された後は必至で体を洗います。でも居場所がないので勇介の家に行ってしまいます。

その頃、勇介は順調だと思っていた仕事に社長の妻から嫌味を言われるようになりイライラしだします。

しかし京子は根本は純なのです!?

そしてある日、京子は勇介に「子供ができた」といいました。

勇介は間髪入れずに「下ろせ。やるだけでいい。」といいました。

そして再び京子を犯そうとする勇介を殴って京子は帰ります。”最低だとは知ってたけどやっぱり最低だ”と思いながら。

そして京子の母が彼氏と全裸のまま車ごと落ちて死んでしまいます。せいせいした京子でしたが、勇介が葬式に来てそこで自分の会社の新婚であるはずのチーフと会社の社長が不倫していることを知ります。

京子は家を片付けしている時に、自分の母子手帳を見つけ、そこに書いてある児童憲章を読み上げます。

私もそんなんあったかな?と思ったので一応引用しときます。

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。  

引用元:文部科学省 児童憲章

勇介は京子が読み上げる児童憲章を聞きながら涙します。

こんな自分と、あんな京子の子供というのが不憫で仕方なかったのでした。

どうすればいいのかさえもわからないまま勇介と京子は時間が経ってしまいます。

ある日、勇介が帰ると京子とあかねが話していました。京子は子どもを産む覚悟でしたがあかねが勇介の子だと知って反対します。

こっそり聞いていた勇介はその後、あかねの店に行って今度はあかねを犯します。やりたい放題の勇介、特に何も考えてないんだろう。

しかし時間は過ぎていくもので、京子には男の子が生まれます。

勇介は「正義」とかいてまさよしという名前を付けました。

勇介の会社のあの社長と不倫しているチーフからの出産祝いが多すぎるのが気になったものの、しばらくするとチーフは首つり自殺しました。

社長にも事情を聴きに警察が来たときに、いつも勇介に嫌味を言う社長夫人に「お前らが殺したんだろ」といいました。すると今度は社長が自殺します。

勇介は社長の妻から退職金をたっぷり頂いて会社を辞めました。

そうこうしている間に正義は10歳になります。

勇介は清掃の仕事をし、正義は賢くなってゲスイだるい父の事を毛嫌いしています。勇介はあかねとまだやっているのでした。

京子は未だに宗教にどっぷりはまっていて、宗教の中で不倫していました。

勇介は正義とも京子ともうまくいかず、黙ってましたがある日とうとう正義に怒鳴ってしまいます。

正義は勇介が嫌で嫌でしょうがないのです。

家庭の中は正義という血のつながりがあるだけのような今にも壊れそうな雰囲気です。

酒を飲んだ勇介は京子に愛を求め始めます(もう遅いって)

「嘘でもいいから俺の事を愛してるって言ってくれ」

と。

嘘でもいいならと言われ、愛してると言うと出て行き残った京子に正義がお父さんの子供であることが嫌だ。もっと普通の子供に生まれたかった。産まれたくなかったと言います。京子は正義の頬を叩き、抱きしめます。

そしていい年齢になっているはずの勇介は海に入り

「なぜ人は生き、人は死に、なぜ自分は自分なのか」

と泣きながら叫ぶのでした。

おしまい!

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宗教の名前は神我の湖という名前です。実在しないです。

そこまでやりたい放題しといて、なぜ人は生き、人は死に、なぜ自分は自分なのかってのはどうかと思う。子供がかわいそうだと思うけど、勇介もまたかわいそうな子供なんだよね。

連鎖を止めないといけないと今になって気が付いたのかな。自分にはすることがあるって気が付いたのかな。男も女も自分の目の前の事だけを考えてるのにそりゃ行き詰りますよ。

流されるように生きて、愛のない結婚をしてしまった人はやっぱりどこかで思い悩む。目先の欲ばかりに目が行ってしまって考えることを後回しにしてしまうとやっぱりいいこと無いと思うんだよね。

やっぱり何かある人は何かある人としか一緒になれないという気もしますが。

つまり、そんな男の半生がどうなるのかという事をこの映画は表しているのではないかな?

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