小説 気持ちの埋め方 胸糞悪い話

湊かなえ「母性」の小説のネタバレと感想と私の気持ちの落としどころ

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母性の3行あらすじとネタバレ

注意※三行で結末まで書いてます。

母になったからといって、皆が初めから母性がある訳ではない。誰かのためにというのは自分のためであり母性ではない。自分すらない。母の言うとおりに成長した娘は、母の勧めで農家の長男と結婚し子供を作る。母は亡くなり、「私」は夫の実家である農家に居候することに。農家ファミリーは嫁に対して陰の部分を全て押し付けるが考えることのできない私は従うしかできない。耐えることが美徳な女の最後の最後まで胸糞悪い話。そんな母(受け入れることだけで生きている女の人生)が、反発せずに生きている昭和教育の浸透の残骸のような話。

母性のあらすじとネタバレと感想

みんな大好き湊かなえ! の「母性」の小説を読んでみた。

映像化されたら、NHKの朝ドラであろうがどれだけ長かろうが全部見たい!

母性の小説のキーワードとなるのは

「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません」

という呪いのような一言だ。

とにかく母のことがだいじで、母の思うように振舞って、母に喜んで貰いたい!とひたすらに思って生きてきた娘「私」が、何のとりえがあるのかわからない男と母の勧めで付き合って結婚し、そのまま母とも同居し、さらに娘を生む。

途中で「私」の母親(子供にとってはおばあちゃん)が、火事から孫を助けるために死ぬ。

このお話は母と娘、それと孫娘の三代に渡った母性という呪いの物語です。

それまで母の事だけを考えてまっすぐ生きてきた、「私」の核が揺らぐが、とりあえず家が燃えてしまったため、母が進めて結婚した夫と共に、農家の夫の実家に引っ越す・・・が、そこでもその私の真っ直ぐな信念は揺らがない。

母が喜ぶような生き方をしていれば、いつかきっと幸せになれるはず!と。

そもそも絶対という言葉は、狭い世界の中で生きているからこそ出てくる言葉で、一般的には使わない言葉であり、信念を思い込みと間違えて突き進んでいる人がよく使う言葉である。まさに情念である(情念の意味:強くとらわれて離れない愛憎の感情。)

ここでの「私」の信念は、母からの愛情を意味も考えず娘にただひたすらに同じことをしていくということ。

母性云々の前に、言われたことしかしてこなかったから自分に向き合えてない。だからこそ娘の気持ちも理解できないのだ。

そして夫の実家は、ゲス、ゲス、ゲスの三拍子そろった農家の長男の夫とそのファミリー。

しかし真面目にやっていれば(母の教えの通り疑う事もなく耐えていれば)いつかは農家のファミリーたちも心を開いてくれる、分かり合えると思って頑張る嫁(私)。

夫の実家はお付き合いをハッキリとは言わずに制限し、朝から晩まで働かせる。奴隷のように。そうして無気力鬱のような状態を作り出す。

いつ折れても不思議ではないような、一本の線だけがものすごく強くなっていく感覚。

身体を壊すのが先か、心が壊れるのが先か、それともファミリーが死ぬのが先か。

嫁の人生を潰すのが生きがいのようなファミリーに対して耐えても、死んでから「もっと優しくしとけばよかった」と無神経なことを言い放つだけなのに。

このファミリーたちの「他人の笑顔が憎らしく、他人が窮地に追い込まれれば追い込まれるほど笑顔になるイジメを大人になっても平然とやってのけられる」卑屈な神経が信じられない。しかもファミリー全体でだよ?

子どもの娘から見ても「悪意満点」であり、親(農家の長男のお父さん)に大元の原因があるとすぐにわかるだろう。

人の事は徹底的にけなす癖に、何をして貰っても人に感謝することを知らずに生きているような甘えん坊農家の書き方がいい。とてもいい。

嫁が来たからには、限界チャレンジさせてせせら笑いたい。という魂胆が見え見えだ(笑)中学生(脳みそも)のいじめみたい!

そういやあんまり接触なかったけど、同級生の農家の家もこんな感じだったわ。

すべての農家を否定しているわけではありませんが、一度自転車で遊びに行くと、ジジババに自転車のピンだけ抜かれていたという底意地の悪さを見せつけられました。自転車屋さんに行くと「作為的な嫌がらせ」と言われたことは生涯忘れないだろう。孫の友達にすらそういうことを平気でやってのける、この根性の悪さが物語っているよね。うるさいから二度と遊びに来るなという事だろう。こういう「自分だけが正義」だと思い込めるのも、また小さなコミュニティから出ないまま一生を終えれる人たちの特権なのかな。義務教育のままの世界の大きさが死ぬまで続けられるんだろう。なんという閉塞感!

そして農家のファミリーは「私」を徹底的に朝から晩までこき使い、家政婦+農家+義理姉の発達障害の子供の世話を押し付けられ、断れない「私」は絶対安静なのにも関わらず子供の世話を押し付けられ、自分の子供を流産してもファミリーは謝らないどころか「お前のせいだろう」と言ってのけれるこの農家ファミリーの無神経さ。

いいねえ。

農家の闇だわ(笑)

他人事だが登場人物の全員が発達に問題があると思ってしまう。

田舎の農家ほど自分ちの血絶対主義なので検査も行かないだろうけど。

自分ちが悪いなんてミジンコすら思ってないだろう。

閉鎖的な絶対主義な育ちが無神経を生み出すのが先か、発達障害が無神経を生み出すのが先か。鶏と卵か!

そうして「私」は娘に「これだけあなたのためにしてあげているのになぜあなたは返してくれないの」(意訳)という事を重圧的に押し付ける。

徹底的に抑圧されていて、あとの望みは娘しかないからだ。

これが冒頭の「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません」という呪いの言葉につながる。

普通の人は、わざわざ愛してるとか、これだけ尽くしています!みたいなことは言わない。
わざわざ言うのは、自分は愛してるけど、相手が手に入った感覚がない場合だ。

愛や友情、家族などの抽象的なものをわざわざ言う人は、思うように手に入ってないのだ。

手に入ってないけど「これが愛だ!」と納得したくて、認めてもらいたくてわざわざ声に出しているのだ。

承認欲求とはこれだ。

高いものを欲しがる女もこれだ。交換条件したがる女も男もこれだ。

与えたところで、物としか見ないのに形として欲しがるのだ。

相手にしないことに越したことがない。

その上、こういう人に関わるとすべてを自分とフィットさせなければ、猛烈に怒り出すのも同じ。・・・ようはこだわりが強いんだろう。こだわりってやんわりいってるけど「情念」だから!「愛憎」だから!いい意味なんてないよ?

よくいえば、こだわり。

悪くいえば、視野が狭すぎる。

どうでもいいけど、嫁の味方もしない夫は嫁にも心があると思っていないのか?それとも何とも思ってないのか?なんであれ非常にめでたいのは確かだ。やはり無神経な身勝手ファミリーに育つと、正しい事もゆがめられるので郷に入っては郷に従えなのか?

これが田舎の農家の長男なのか!

・・・そして「私」の娘である「わたし」は母のためにと思ってしたことは全て裏目に出て、非常に空回りする。

それでも「わたし」は母からの愛を求めてしまう。

「私」は母から十分に愛されて、それに答えるようにだけ生きてきた。

「わたし」は母の愛を感じられず、母の愛を求めて生きている。

わたしは母の本音が全く見えてこないのだ。

「わたし」は極端な農家脳の家庭で育ったので、ファミリーと同じく白か黒かしかない。そして正義を押し付けるしかできない。しかも未熟な正義感しか出てこない。

「正論」であろうことを、大きな声を張り上げて黙らせるか無視するかの、どっちかしか選択肢のない2bitな家庭に育てば、いかに正論を言えるかでしか勝負できなくなってしまう。せめて今は16bitに上がっていて欲しい。

実際は家長である【農家のジーさん】の身勝手→殴る、怒鳴るのオンパレード、いつまでも子どもみたいにふてくされる、など厄介ごとの機嫌を取るために家長の言うことを聞く家族。

しかし、家長も家族とテレビと半径2キロと農協しか行かないので、だいぶ間違ったことを言う。偏った世間の見方しかでき無い。

家族は納得できないが、我慢するしか方法がないから我慢する、そして家長はますます付け上がる。という地獄のロングフルコースの出来上がり!

そして世の中にはグレーがある、しかしそのグレーに隙あらば付け込んでくる、農家脳に育てばそうなる。

ゲスイ。非常にゲスイ。ゲスイ。

人のあら捜しばかりしてるから、めっちゃあら捜しが得意!

というか日本あら捜し選手権とかあったら「推薦」で出て欲しい(笑)

他人が受け入れれば受け入れるほど付け込んでくるので、安心感とは程遠い家庭だ。

当然のように強く出れない人や自尊心の低い人をいいように使うだけ。ゴミ扱いだわさ!

少女葬の貧困ビジネスと同じだ。

人の優しさを吸い取る事しか考えてないから、「私が強く言ってやらないと」「あいつは馬鹿だから、農家の作業しかできない。」「家事しかできないから。」「指示してやらないとなんにもわかんないバカなんだから。」「私たちが生かせてやっているんだ!」といったエンペラー的勘違い思想が、狭いコミュニティでは生まれやすい。

しかし行き詰まりを感じていたところで、生活の基盤がそこにあり、子供もいるとなれば「すぐには逃げださない」と思い、エンペラーたちはつけあがるだけ。

目を覚ませ!息苦しさは生きている証ではない。

人は受け入れるやさしさに触れたら、普通は同じように返すものなのだが、精神的にせこいので返すことはしない。

絶対にしない。自分だけが得したい。これがリトルエンペラーだろう。

でもきっと、多分このリトルエンペラーたちは、世の中に出てもリトルエンペラー。

どこにも通用しないような、所詮は中二病を拗らせた田舎のマイルドヤンキーなのだ。

是非、虐められている嫁もそういう風にさげすんでみたい所だが徹底的に苛め抜いて精神的にもマヒさせているのでそんな発想もなく、DV男の妻のようにただその場をやり過ごすしかできない。

こいつらは常に気持ちに余裕がないのだ。

そして関わった人も、まいにちまいにちバカにされるだけで我慢の容量がオーバーしているハードディスクに、ひたすら上書きしているようなものだ。

処理できない気持ちが溜まっていくだけだ。

正論な気持ちにふたをさせ、ねじ曲がった正論でねじ伏せるやり方は実際最近では子供の死亡事故でも使われている。

ここで大事なのは、声を上げることであり我慢することではない。

是非この機会に田舎の闇を徹底的に解体していってもらいたい。

世の中の税金の大半は田舎の老害に流れていっているのだ!

・・・でもよく我慢したと思う。

私なら途中で出てきた義理姉の「りっちゃん」のように「私の事は居なくなったと思って!」と言って出ていくわ(笑)

そして死ぬまで振り返ることは無い!

りっちゃんのように地元に帰ってきて、なんか店でもしようかなんてことは死ぬまで思わないと思う。私はできるなら軍鶏のように突き進みたい。

そして父親は母の事をかばいもせず、暖かい言葉のひとつもかけず、農家すら手伝わずに、母の実家の借家に住んでいる女と浮気する。

この辺、近所で済ませるあたり本当に田舎の農家なんだろう。都会に出て、自分が評価されないと知っているからこその、地元でも浮気。最低だ。

本当に最低だ。

地元のみんなも知っている、あの女と浮気していた。

しかも嫁の持ち物の借家(嫁の実家)で。

嫁が悪い、嫁は可愛そう、嫁は悲惨、あんな嫁にはなりたくないわ。などと近所中で死ぬまで噂される、セカンドレイプを受け続けることもセットなのに、夫は無神経にも他の女に甘えに行く。クズもいい所。

そして、最後が私はものすごく後味悪かった。

結局、女は受け入れるしかないというのを見せつけられた気がして、はじめて湊かなえで後味悪かった。

私ならすべてを受け入れられない。

息苦しさ★★★★★ マックス!

・・・ほとんど読んだと思ったけど、まだ読んでなかった。

紹介してくれた子は言う「全然母性じゃないんだよ!」と。

うーん・・・。登場人物みんなもっと目をそらさずに生きて欲しいな!特に男!!!!

無茶苦茶書いたけど、それだけ良くできた話です。

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2021年秋、2022年秋公開で母性の映画化が決まった。

監督は廣木隆一で、さよなら歌舞伎町、ヴァイブレータの監督なのできっと斬新な切り口で『母性』を伝えてくれると信じています。

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