すっきりする話 何も考えず見れる 気持ちの埋め方

頭に来てもアホとは戦うな! のネタバレと感想と思うこと

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田村耕太郎著、かなり話題になった本を今更読んだ。

サブタイトルは「人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法」

method with the of human relations as power

人間関係を力にする方法

ちなみに漫画も出ている。さすが朝日新聞出版社。売れたものは残りかすまで搾り取るやり方、私は好きです。

2014年に出版し、当時はSNSに時間を割くのは勿体ない。と書いていたが

今はTwitterもしている。きっとアホを味方につけているのだ(笑)

ひとことで言えば、この本はアホと戦う時間があれば、自分のやりたいことをしろ。という指南書です。もっと言うとアホの交わし方が載っています。

人間関係に悩まされている時間は非常にもったいないという事です。

私は人間関係に悩まされている人を見ると、「最終的には〇か×しかないから悩んでいてもしょうがない」と思ってしまう、多少無神経な人間かもしれません。

もちろん、無神経を前面に出してしまうとあからさまに嫌われるのが解っている位の無神経です。

本気の無神経は、嫌われるということも想定しない、人の気持ちがわからずに自分の気持ちがすべて!自分の言ってる事が絶対に正しい!から人に押し付ける。人の気持ちをとにかく考えない、考えられない人であると思います。

会話していても、キャッチボールではなく人にぶつけるのが正義!というドッチボール方式の会話しかできないので、明らかに「人に合わせよう」と思っていない会話をするのが特徴です。あと、不潔な人もそうでしょう。

たまに恋愛して勘違いして香水をひと瓶振りかけたようなにおいをまとった人がいますが、あれも自分が見えていない無神経に入るでしょう。

どうでしょうか?無神経は滑稽ですよね。

自分の子供が苦労しないとわかっていても、自分の子供を無神経に育てる親はいないでしょう。無神経の親から無神経の子供が勝手に作られて行きます。

小さなころに子供がどれだけ迷惑をかけて謝りもしない親とか無神経ですよね。でもそういう無神経たちが、人生のいい所を取って行っていればどう思うのでしょう?

最近話題になっているHSPの人なんかは、こういう無神経が嫌いでしょう。

話は元に戻って、この本は冒頭から「アホ」の連続です。気持ちがいい位、せこいやつの事をアホアホと言っています。本当に気持ちがいい。

自分がやりたいことを絶妙に阻止したり、反対してきた人、足を引っ張る人の事を「アホ」と呼んでいます。居ますよね!そういう人。

そのアホをうまく動かせて、自分の味方にすればいい。

アホにメンタルやられている時間を自分のために使え。

というわけです。

アホを拒絶するのではなく、アホを利用するのです!

私はこれまで、何事も周りを巻き込んでまでやり遂げる系の無神経が苦手でした。しかし田中さんは言います。

「相手の気持ちを見抜く力がある(無神経は)鬼に金棒」だと。

ようは嫌いな相手の懐にも飛び込んで操れる力と忍耐力があれば、自分が思うように生きられるという訳です。

これはいいアイデアだ!と思うかもしれませんが、あからさまに人を利用する人も嫌われます。無神経に入るからだと思います。人の足を引っ張ろうと手ぐすねを引いて待っている人って好かれますか? 普通嫌われますよね?

そしてアホを利用するには多少の自己犠牲を払って、アホに取り入るという事も説明しています。そんな馬鹿な!私のプライドはどうなるの?という質問にも多少のプライドを捨ててでも、自分のやりたいことを貫く方がメリットがあるというのです。

そう、コアがしっかりしていれば適当に相手にできるのです。だからこそブレない人には人が付いて行きますよね。

田村さんが尊敬している内閣総理大臣の菅義偉さんなんか、偉くなっても全くブレてない腰の低さ。偉くなるほど腰が低くなるという日本人の代表のような方である。

田村さん曰く、政治家で偉そうにする人は劣等感が優越感に変わっており、コンプレックスの強い人なんだそう。

そう、コンプレックスの強い人を操るのは簡単だが、普通にコンプレックスの強い人は扱いにくく、自分の持論を押し通そうとする感情的な部分が前に出てくるので私も非常に苦手である。

できるなら、優しい、気の利くほどほどに繊細な「小さなころから可愛くて、皆に大事にされてきたコンプレックスのない人と、掌を返して人の事を陥れようと手ぐすねを引いているような人とは無縁な優しい世界」に生きてきた人と共に過ごすのは大変に気持ちのいいものだ。

人にされて嫌なことは自分はしないを実践してきている人たちと居るのは非常に心地いい。本当はそういう世の中であるべきだ。

反対にコンプレックスの強い人は、小さなころから可愛がられずに、可愛がられている子の事をひがみ、いじめ、劣等感からコンプレックスを持ち続けていて、自分が頑張ってきたものもいとも簡単に手に入れるコンプレックスのあまりない成功している人にからみがたり、いつ足元をすくってやろうかと手ぐすねを引いて近寄ってくるようなゲスイ気持ちが顔に出ている。絶対に顔やしぐさに出るのだ。私はこういう人が苦手だ。利用する気満々なゲスイ人が苦手だ。そういうのは誰でも感じ取る。

だから、そういう悪意のないかわいい子は素直で更にモテるのだ。

しかしそこに僻みを持ち続けるか、自分のために時間を使うのかは別なのだ。

もっと言うと、そういうアホを利用しろ!

という事を言っているが、明らかに自分の事を嫌っている人の懐に低姿勢から入り、いつの間にか自分の味方にするという高度な技が必要になってくるのです。無神経なアホにもしなやかな図太さで取り入り、更に踏み台にする人間性が試されます。

しかも政治家ともなれば、最後まで成し遂げなければなりません。途中で飽きたから「実はあんたの事嫌いなんだよね!」なんてことは言えない訳です。

これは難しい(笑)

周りの人に、「あれ?あの人苦手じゃなかったのかな?」と思われていると、絶対に言動じっくり見られるもん(笑)

だから苦手とか嫌いとか、そういう弱みになりそうな態度ははじめから見せないことが世の中を簡単にわたるコツなんでしょうね。

この本を読んで、世の中を上手くわたってるなと思われる芸能人を考えてみました。

私は里田まいだと思います。

つんくからの紳助、そこからのまーくん(笑)

しれっといい所を取って、そしてブレてない。まーくんもしかり。

うーん。自分の努力を最大限に自分を発揮したな。と思うのです。

所でこの本では自分のやりたいことを邪魔してくる「アホ」の事を書いています。

でも実は身の回りに居るアホもいます。

本とはちょっと逸れますが、その事をちょっと書いておきますね。

そのアホとは感情だけで生きているアホです。

身の回りでもちょっと親しくなったらすぐになぜか「自分よりも下」だと思い込み、マウントを取ってくる見下し癖のついた人がいます。

そういうのも目の前の感情だけで生きているアホです。

その中でうまく立ち回らなくっちゃと思わなくても、

あなた様が相手にするような相手ではないですよ。私はあなたよりももっと下の世界で生きてますよ~という事をわからせれば、こういうアホは近寄ってこない。相手を立てて逃げるが勝ち。

こういうアホは自分よりもちょっと下を馬鹿にして、ちょっと上に取り入るという習性がある。相手にしなくてもいい。もし、絡んでくるならば私はあなたに相手にされるほどの人間ではないですよと言えばいい。

相手の家よりも安い、質素な生活をしていて大変なんです~。と言えば近寄ってこないだろう。こいつには得るものがないと思って切り捨てられるのだ。

こういう人は絡んできてもサッと消えるのであまり問題ではない。

もっと問題なのは、「私の気持ちをもっと考えてくれ」というアホだ。

親しくなったと思った瞬間から、自分の位置まで降りてきて考えて見てくれと言ってくる。

こういうのは困る。金に困っているなら生活保護を進めるが、たいていの場合中途半端で自分で厄介ごとを引き込んでいる場合が多い。ヒモを自ら飼っている、家族に病気の人がいてどうにもならない、仕事をしたくない、給料が低いけど何もしたくない。というような感じ。しかもズバッと指摘すると怒り狂うのもセットでしょう。

なぜただ同じ場所をぐるぐると回りたい人の愚痴を聞かないといけないのか。

こういう人は解決にはならないが、ただ愚痴を聞いて欲しいだけなので「進展」を期待していない人である。そこで、進展を求める人種と進展を求めずにただ愚痴を言うだけの人とに分かれるのである。

あのな、人間、よっぽど余裕がない限り、相手の位置まで降りていって考えて寄り添ってあげるような余裕はない。人間、自然に上を目指したいと思うからそういう人はマッハで切り捨てようとするものなんですよ。

それでも永遠に同じことを、どうにもならないような事を言い続けるアホに絡まれたら、少々相手の事を傷つけてでも切り捨てていくのがベストだと思う。

ところが、どうしてもそういう人と向き合わなければならないなら、何も言わずに逃げるのがベストだろう。発言したら最後、そこから絡みつかれてしまうから。

相手にしてしまうと、生活レベルだけでなく子供の成績や持ち物、趣味や好みまでも合ってないと気が済まないという相手の理想論だけを押し付けられることになってしまう。少しでも外れると、攻撃の対象になってしまうのです。これは子どものイジメによく似ている。なぜなら発想が子供じみたものだから。

こういう人は、できれば始めに出会った時に気が付けば、適当に合わせ、その後怒りを買う前に、褒めて、おだてて、いい所をわざわざ探してわざわざ言葉にして口に出して、軽やかに離れていくのがいいと思う。

ポイントは『深入りする前に離れる』ということだ。

とはいえ、人間常に張りつめていると、たまにアホの緩さが心地よくなってしまう事がある。

一人でフラッと入る立ち飲み屋でどうでもいいような話をしたい時もある。

それでも、アホに絡まれたくないなら、リラックスタイムは一人で完結できるように心得たい物である。

でもアホの緩さにずぶずぶと入り込みたい時がある。そして必ずアホに逆襲されてしまう、人間関係を計算し尽くすことができない私なのでした。

全然、この本の感想ではないけれど、この本を読んで色々考えることが、この本を読む醍醐味だと思って是非読んで見て欲しい(笑)

余談だが、無心になる時間で自分の心を取り戻すという方法を実践せよ!とあるのだが、やはり泳ぐ、走るという時間で邪念を取り払うというやり方が一番効率がいいんだなと思った。すでに頭がこんがらがった時は、そのまま耐えて仕事を続けるよりもいっそ会社を飛び出してめっちゃ泳いでる。

無心になる時間が、仕事の効率をグッと引き上げることができる。

しかしこういう方法は、時給の人には想像もつかないだろう。

泳ぐ時間に一時間でも働けば来月の給料が上がるもんね!泳いでる時間を過ごしてる人って「アホ」じゃない? って思うのが神髄のアホである。ある意味、目の前しか見れない幸せのアホか…。

多分でもこの本を書いた田村耕太郎は、本当のアホには出会ってない可能もある。人のいいだけで、何も考えれない本物のアホに……。

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